相続放棄をしても葬儀費用は払えるか|判断の分かれ目
大阪高裁平成14年決定は相当な範囲の支出を処分にあたらないとした。境界はどこか
相続放棄を予定している方が、自分の財産から葬儀費用を支払うこと自体は、相続放棄の妨げになりません。判断が分かれるのは、故人の預金や手元の現金から支払う場合です。相当な範囲の葬儀費用であれば「相続財産の処分」にはあたらないとした裁判例(大阪高裁平成14年7月3日決定)がある一方で、金額や使い道によっては相続放棄ができなくなる可能性が残ります。迷う場面では、支払う前に確認しておくのが安全です。
なぜ「支払い方」で結論が変わるのか
相続放棄は、家庭裁判所に申述して行います(民法938条)。申述が受理されると、その相続に関しては初めから相続人とならなかったものとみなされます(民法939条)。期限は、自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月です(民法915条1項)。
この3か月の間に、相続人が相続財産の全部または一部を処分すると、単純承認をしたものとみなされます(民法921条1号)。単純承認をすると、被相続人の権利義務を無限に承継することになり(民法920条)、借金があってもすべて引き継ぎます。つまり、放棄の申述をする前に相続財産に手をつけると、放棄の道が閉ざされることがあるということです。
さらに、民法921条3号は、限定承認や相続放棄をした後であっても、相続財産の全部もしくは一部を隠匿し、私にこれを消費したときは単純承認とみなす、と定めています。申述が受理された後だから安心、とは言い切れない点に注意が必要です。
なお民法921条1号には「保存行為」を除く旨のただし書きがあります。相続財産の価値を維持する行為(建物の応急修理など)は処分にあたりません。葬儀費用の支払いがこの「保存行為」に含まれるかは、条文からは直ちに読み取れないため、実務では裁判例の考え方が手がかりになります。
自分の財産から支払うなら、問題は生じにくい
喪主が自分の預金や自分名義のクレジットカードで葬儀費用を支払った場合、相続財産には手をつけていないので、民法921条1号の「処分」には当たりません。この場合、支払った金額の多寡は相続放棄の可否に影響しません。
香典を葬儀費用に充てるケースもよくあります。香典は、喪主に対する贈与または葬儀費用の負担を軽くするための贈与と解する考え方が実務では一般的で、相続財産そのものではないと整理されることが多いものです。ただし、扱いには議論があるため、詳しくは香典は誰のものかもあわせてご確認ください。
いずれにしても、支払いの出どころが自分のお金であることを、後から説明できる形で残しておくことが重要です。自分名義の口座からの振込記録、領収書、葬儀社との契約書の名義などを保管しておいてください。
故人の預金から払った場合|裁判例が示したこと
しばしば引用されるのが、大阪高裁平成14年7月3日決定(家庭裁判月報55巻1号82頁)です。
この事案では、相続人が被相続人の預貯金約302万円を解約し、葬儀費用のほか仏壇と墓石の購入費用に充てていました。その後、約5,900万円の保証債務があることが判明したため相続放棄を申述したところ、原審は「相続財産で墓石を購入した」ことが法定単純承認にあたるとして申述を却下しました。
大阪高裁は、葬儀は社会的にみて必要性の高い儀式であり、相続財産があるときにその中から葬儀費用を支出することは社会的見地から不当とはいえない、と述べました。仏壇・墓石の購入についても、債務の存在を知らない段階で行われた相続人の自然な行動であるとして、明白に「相続財産の処分」にあたるとは断定できないと判断しています。
この決定は、相当な範囲の葬儀費用の支出であれば、それだけで直ちに相続放棄ができなくなるわけではないことを示した点で重要です。
それでも「大丈夫」とは言い切れない理由
一方で、この決定はあくまで個別の事案についての判断であり、どんな支出でも許されると読むことはできません。次のような事情があると、法定単純承認と評価される余地が残ります。
- 相続財産の規模に対して不釣り合いに高額な葬儀を行った場合
- 葬儀とは関係のない支出(生活費、自分の借入返済、換金など)に流用した場合
- 使途を示す見積書や領収書がなく、支出内容を説明できない場合
- 相続放棄の申述後に、故人の預金を私的に消費した場合(民法921条3号)
また、そもそも預貯金の払戻しには、後述の仮払い制度を使う方法もありますが、仮払い制度を使って引き出した預貯金は、遺産の一部分割によって取得したものとみなされる点に注意が必要です(民法909条の2)。相続放棄を検討している段階では、この制度の利用そのものが処分と評価されるリスクを抱えます。制度の内容は預貯金の仮払い制度で解説しています。
どこまでが「相当な範囲」かは、相続財産の額、葬儀の形式、地域の慣行などによって変わり、一律の基準はありません。だからこそ、断定的に安全と考えて動くのは避けたほうがよい領域です。
迷ったときにできる備え
まず、公的な給付を確認してください。国民健康保険・後期高齢者医療の葬祭費や、健康保険の埋葬料は、故人の預金に手をつけずに費用の一部をまかなえる制度です。
そのうえで、次の点を意識しておくと後の説明がしやすくなります。
- できる限り自分の財産から立て替え、支払い記録を残す
- 故人の預金から出す場合は、葬儀に必要な範囲にとどめ、見積書と領収書を保管する
- 葬儀費用以外の用途には使わない
- 家庭裁判所から届く照会書には、支払いの事実と金額を正確に記載する
- 3か月の熟慮期間内に判断できないときは、期間の伸長の申立てを検討する(民法915条1項ただし書)
そして、相続財産に手をつける前に一度立ち止まることです。何が単純承認とみなされるのかは相続放棄ができなくなる行為にまとめました。判断に迷う金額であれば、支払う前に弁護士に事情を伝えて確認しておくと、選択肢を残したまま進められます。
まとめ
自分の財産から葬儀費用を支払うのであれば、相続放棄への影響は基本的に生じません。故人の預金から支払う場合は、大阪高裁平成14年7月3日決定のように相当な範囲であれば処分にあたらないとした裁判例がある一方、金額や態様によっては単純承認とみなされるおそれが残ります。支出の記録を残し、必要な範囲にとどめること。そして判断がつかないときは、支払う前に相談すること。この二つが、あとから困らないための現実的な備えです。
